【レポート】
コニカミノルタのカメラ事業終了 - コニカとミノルタの資産と、その継承は
1 時代を作ったミノルタ
2006/04/17
2006年1月19日、カメラ業界に激震が走った。大手カメラメーカーのひとつ、コニカミノルタがカメラ事業、フォト事業を終了するという。それに至る経緯は各関連サイトで報告されているので、ここではコニカミノルタの足跡を追い、合わせて今後の展望を探ってみたいと思う。
「実る田」と宮崎美子
ミノルタの設立は1928年のこと。さすがに筆者も当時の様子については詳しくないので、興味のある向きはウィキペディアなどを参照してほしい。重要なのは、現存する日本のカメラメーカーの中で2番目に長い歴史をもっているということ(もっとも古いのはコニカ)。戦前には「千代田光学精工株式会社」という社名になったらしいが、かろうじて覚えているのは社名が「ミノルタカメラ株式会社」に改称されてから(1962年)。合併前の「ミノルタ株式会社」になったのは1994年のことだから、ミノルタカメラ時代が長かったといえる。
有名な話だが、「ミノルタ」は「実る田」から来ているという。その他のカメラメーカーを見てみると、「高千穂」→神々の山→「オリンパス」、「観音」→「キヤノン」、「ペンタプリズム」→「ペンタックス」など、ユニークなものが多い。そう考えると「日本光学工業」→「ニコン」など、当たり前すぎてつまらないほどではある。
1980年に発売された一眼レフカメラ「X-7」のころからはよく覚えている。絞り優先AEを搭載したエントリーモデルなのだが、なによりCMにインパクトがあった。当時、熊本大学在学中であった宮崎美子を採用したX-7のテレビCMは一世を風靡し、海辺の木陰で恥ずかしそうにTシャツとジーンズを脱ぎ捨て、ビキニ姿になる宮崎美子の姿は、甘酸っぱい斉藤哲夫の歌声(「いまのキミはピカピカに光って」)とともに、日本全国の少年、青年、お父さん世代までも、ハートをギュギュッと鷲掴みにした。もちろんX-7が大ヒット作となったのはいうまでもない。また、あまり知られていないが、宮崎美子を芸能界に送り出した篠山紀信自らが「ミノルタXE」のテレビCMに出ていたこともあった(1974年)。篠山はそのなかで「グッと寄ってバシャバシャ切れ」と自らの写真撮影の極意を語っている。
オートフォーカスはα-7000から始まった
1985年、本格的なAF(オートフォーカス)一眼レフの開発を急いでいた他社を一歩リードするカタチで、世界初の本格的なAF一眼レフカメラ「α-7000」を発売。本格的なAF一眼レフ時代の幕開けとなった。このα-7000は大ヒットとなり、αシリーズをAF一眼レフのトップブランドに押し上げることになった。ちなみに「7」はミノルタのエースナンバーであり、ここぞというモデルには「7」が使われている。これは現在のデジタルカメラまで続けられた。
AFを始め、ミノルタは新技術の開発に非常に意欲的である。1987年11月には、α-7000/9000のウラ蓋を交換するだけでアナログ式のスチルビデオカメラとなる「スチルビデオバックSB-70/90」を発売している。また、α-7000の発売を機に、従来のマニュアルフォーカス用「MDマウント」レンズ群との互換性をなくした新マウントの「ミノルタαマウント」を採用。レンズから絞り環をなくして絞りもシャッタースピードと同様にボディー側で制御する機構を取り入れた。
ミノルタはレンズ開発でも定評があり、ガラス溶解から研磨・コーティングまでを自社の工場で行う、数少ないメーカーのひとつだった。かつてのミノルタのレンズブランド「ロッコール」は、創業地西宮からほど近い、神戸の六甲山にちなんで命名されたモノだ。世界で初めて2層のマルチコートを施したのもロッコールだった。
現代のα交換レンズ群にあっても、理想的な前ボケ/後ボケに極限までこだわった「STF 135mm F2.8[T4.5]」や、開放絞りでの描写性能を追求したポートレート撮影に最適な中望遠レンズ「AF 85mm F1.4 G(D)Limited」を限定発売するなど、他社に類を見ないほど「レンズの味」にこだわった開発を続けてきた。ボケ味とシャープさを高次元で両立させるという思想をもつα交換レンズ群には、根強いファンが多い。現在までにα交換レンズ群は全世界で1600万本が出荷されているという。
新技術に積極的に取り組む姿勢
新しい技術を積極的に製品に取り入れるミノルタの社風を象徴する機構に、「オートスタンバイズーム」がある。ファインダーを覗くと自動的にズームが動き、適切な画角を設定してくれるという、びっくりするような機能だ。これは1990年代初頭に発売されたズームコンパクトカメラ「APEXシリーズ」や、一眼レフでも1991年のα-7xiと同時にリリースされた交換レンズシリーズ「xiズームレンズ」でも採用された。さすがに当時も"一眼レフの撮影画角くらいユーザーに決めさせろ!"という声が大きく、その後、自動ズームが主流となることはなかった。新しい技術を積極的に製品に取り入れようとするあまり、ときに開発陣の思いが強すぎて、後を振り返ると誰もついてこない、というある種の"若さ"も、ミノルタのカメラ開発の特徴のひとつといっていいだろう。
現在ではすっかり存在が忘れられ、撮像素子の大きさを示す記号と化している銀塩フィルムの新フォーマット「APS」(Advanced Photo System)も、ミノルタがニコン、キヤノン、富士フイルム、コダックに呼びかけて規格制定の動きが始まったものだ。フィルムカメラに一大革命をもたらすべく、規格制定に10年を費やした銀塩の新フォーマットは、デジタルカメラという黒船の来襲によって急速にその存在意義を失っていくが、APSの規格策定作業で、世界の主要カメラ/フィルムメーカー5社の技術者が同じ釜のメシを食いながら新しい写真文化の創造に向かって刻苦奮闘した事実は、そこで培われた人脈とともに、各社が魅力的なデジタルカメラを矢継ぎ早に開発できた、そのバックボーンとなっていることは間違いないだろう。
志の高い初期のデジタルカメラ群
デジタルカメラでは2001年6月にレンズ一体型のDiMAGE 7を発売。2/3型500万画素CCDを初めて採用し、28-200mm相当の明るい高倍率ズームレンズを搭載するなど、次世代のデジタルカメラシステムとして注目された。このシリーズは、DiMAGE 7i、DiMAGE 7Hiと続き、A1、A2、A200までそのコンセプトを継承しながら開発されてきたが、各社のレンズ交換式デジタル一眼レフカメラの攻勢に、しだいに存在感を薄れさせていった。コンパクト型デジカメでも、開発リソースと販売力の差で、トップシェアを獲得するには至らなかった。
じつはコニカミノルタは、レンズ交換式デジタル一眼レフでも先駆的なメーカーだった。1995年には1/2型38万画素CCDを3枚搭載した「RD-175」を、また1999年には150万画素CCD2枚を使用して270万画素の出力を行なう「DiMAGE RD 3000」を発売している。RD-175はミノルタαレンズ群に対応していたが、RD 3000はAPS一眼レフ「VECTIS S-1」用のレンズに対応したシステムとなっていた。いずれのモデルも時代が早すぎたせいか、価格と性能のバランスの悪さのせいか、ヒット商品とはならなかった。この、たび重なる失敗が本格的なデジタル一眼レフへの参入を遅らせるひとつの要因となったことは、想像に難くない。
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