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【コラム】

東京バイツ

156 君の誕生日について(戦争は終わった、もし君が望むなら。)

2003/12/25

福冨忠和

最初の記憶は幼稚園で行われたある芝居の役柄だ。カソリック系だからああいう催しをページェントと呼ぶかどうかはわからないが、同じようなものだろう。友達のだれかが白装束に羽根をつけた天使の衣装は「女みたい」であるために頑なに拒んだ結果、私が大天使ガブリエルとして舞台に立った。台詞や演技についてはまったく憶えていないし、大天使が登場するから実はイースターのほうだった可能性もあるが、幼稚園時代をあまり憶えていない私にとって、この記憶は君に関するごく初期のものだ。

母方の祖母はニコライ堂の信者で、母の実家に会いに行くと、君の姿をカードやシールにしたものがもらえた。「ユダヤ人の王」と記されたはずの頭上のプレートと足置き部分のある「才」の字に似た十字架は、たぶん宗派間の断絶を表していた。自分の持ち物にベタベタと貼られたシール(君の姿をイチジクの木の上から見ようとする男の絵などだったが)のおかげで、私は君が世界に占める位置を早くから知っていたかもしれない。

母がプロテスタントに改宗したせいか、ミッションスクールに入学した私は、毎日学校で行われる礼拝に出た上、さらに日曜日も教会学校に連れていかれた。メソジスト系の学校では、天使の話は一度も聞くことはなかったし、本来礼拝堂に十字架もおくべきじゃない、と牧師の資格のある教諭は言った。君の顔や姿は忘れていく反面、聖句と呼ばれる短いフレーズを毎週暗記させられ、その言葉は心に刻みつけられることになった。たとえば君は葡萄の木で、君の父親は農夫なのだとか。

東京を彩るクリスマスのイルミネーションに感じるどこかささくれだった気持ちは、たぶん幼い私を取り巻いた当時の生活の印象と関係があるのだ。家にツリーを飾ったのは、父がまださほど忙しくなかったごく小さな頃だけだ。アドベントがはじまる4週間前になると「ひさしく待ちにし」というグレゴリオ聖歌以降の80番台から110番くらいまでの(聖書協会発行の)賛美歌を学校でも教会でも毎日歌う(おかげでいまでもほとんどの歌詞をそらで歌える)。クリスマス礼拝などの大行事にそなえるためだ。

教会の婦人会の活動が忙しい母は、この時期は特に、私が学校から帰っても家にいないことが多かったし、家にいても年末のバザーで売るためのお菓子や装飾品を作っていることが多かった。年に一度だけしか礼拝に来ない人のためにイブの礼拝は数回行われたが、それも教会の重要な資金源であるそうで、イブの日も母、そしてその後洗礼をうけた兄とも、教会に出かけてなかなかもどってこなかった。25日には朝礼拝を行うのがしきたりだったから、数日間はガランとした家で過ごし、やがて時代が日本人がみんなクリスマスを待ちこがれ、その時期に煌びやかなイメージが東京の街にあふれるようになってからも、私はさほどウキウキした気分になったりしなくなった。

もともと聖書主義だったに違いないメソジストは、3人の王や羊飼いたちの訪問の場面をあまり重視せず、読まれるのはルカによる福音書2章の冒頭だ。全世界を支配していると思っていたローマの総統クレニオは、世界の人口調査をしろと言い出した。各戸にいる人間を数える調査方法のため、離散していたユダヤ人に故郷に戻れという命令がくだったのだ。君の(現世の)父はナザレ出身の大工だったが、故郷に戻ると同じように戻った人々があふれて泊まれる場所は無く、そのため君は馬小屋で生まれることになった。ローマの史実と旧約聖書の預言に重なるこのエピソードが、君の実在を証明するものだと後の人間は考えた。

悲劇はそのすぐ後はじまった。救世主生誕の噂に、ローマは同地方の新生児をみな殺しにした。この地にあらわれ、すぐに十字架にはり付けられ、おそらく30代そこそこで処刑された君が、逃げ延びた赤ん坊と同じ人間かどうかはわからない。いずれにしても長らく諍いに巻き込まれ続けたこの地は、君の存在と死というわずかな希望によっても、決してあがなわれることはなかった。君の生まれた場所を異教徒から奪還するためにかつてたくさんの若い命が奪われたのも知っているだろう。異教徒といっても、君はそこでも預言者の一人とされているのだが、近親憎悪のようなこの戦いは、今も同じ地で繰り広げられている。

「殺してはならない」という十戒の教えが、アジアの片隅でまさに反故にされていた1969年、ガランとしたクリスマスから年を越した13歳の私は、アムステルダムで2人の人物がベットインしたという奇妙なニュースを聞いた。戦争と殺戮に対して、愛と生命の行為であるベットインを対比させたこのロックスターとアーティストの奇矯な夫婦は、思春期にさしかかった私を十分に感化した。君と同じように「国境の無い世界をイメージしろ」と歌った夫のほうは、君と同じように殺されてしまったが、世界はその死を、君の時と同じように今も悲しんでいる。

君が生誕したという日には、戦争が一時的に休戦となることがある。しかし、ロックスターとアーティストの夫婦は、この日を歌った歌の中で、その幸福なイメージに対比させ、こう語りかけるのだ。戦争は終わったはずだ、もし君が望んでいれば。今すぐにでも(War is over, if you want it. War is over now.)。しかし戦争は終わっていなかったし、今も終わっていない。

君は、君をやりこめようとした律法学者に自分が話した譬えを憶えているかい。永遠の生命を得るために「隣人を自分のように愛せ」という君に、彼は「隣人とはだれですか」と問い返した。君はこんな話をした。

「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、おいはぎが襲い、服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにして立ち去った。祭司がたまたま道を下って来たが、その人を見ると道の向こうを通って行った。レビ人も来たが、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人(異教徒として差別されている)はあわれに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をし、自分のロバに乗せ宿屋に連れて行き介抱した。翌日になると銀貨を宿屋の主人に渡し『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います』と言った」

そして君はたずねた。「この三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」。律法学者は言った。「その人を助けた人です」。君はこう言った。「行って、あなたも同じようにしなさい」。

そして今年も君の誕生日がやってきた。私の子どもの頃からのガランとしたイメージはいやされていない。なにしろこの国はまたぞろ若い兵士をどこかに送ろうとしているのだ。彼らは武器を背負ったまま、サマリア人のような行いをすることになっているが、それはたぶん無理だろう。

母兄の影響や学校の教化にもかかわらず私は洗礼をうけなかった。君はもうここを見限って、どこかに行ってしまったと思っているからだ。しかし、一抹の望みを託してこのメールを送ってみることにする。

誕生日おめでとう。もし君がまだ僕らのことを隣人として憶えているなら、返事をくれないか。

※断続ふくめ4年の間連載させていただきました東京バイツは、今回をもちまして終了させて頂きます。長い間のご購読ありがとうございました。また皆様とサイバースペースのどこかでお会いすることを楽しみにしています。

福冨忠和(Tadakazu Fukutomi)
vwyz@jca.apc.org

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